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2008年10月

連載:日本国の紀元を探ろう その13

日本国の紀元を探ろう(13)神倭伊波礼毘古命の東征

 ここからは『古事記』中巻になり、神武天皇についての記述が始まります。

 神倭伊波礼毘古命は、その同母兄である五瀬命と共に、高千穂の宮の坐ます時ご相談され、「何処に坐(いま)すれば平らかに国の政治(まつりごと)が行なえるのだろうか?東に行こうではないか」と、また塩土(しおつち)老(のお)翁(じ)(住吉大神)の御導きをいただいて東に向かいました。

高千穂の宮→筑紫→豊国の宇沙→竺紫の岡田の宮→阿岐国の多祁理宮→吉備の高島宮→浪速→紀の国→熊野→吉野河の河尻→宇陀→忍坂の大宮→と云う経路を取られたと書かれています。

浪速(なにわ)で五瀬命を亡くしますが、八咫(やた)烏(からす)に導かれて、荒ぶる神どもをコトバをもって説得して平定し、反抗する人どもを退治して追放し、畝(うね)火(び)の白檮(かし)原宮(はらのみや)に至りまして国を治めることになりました。

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連載:日本国の紀元を探ろう その12

日本国の紀元を探ろう(12)波限建鵜葦草葺不合命の御子

 波限建鵜葦草葺不合命は、豊玉毘賣命の御妹である玉依毘賣(たまよりひめの)命(みこと)と結婚されて、その御子は、五(いつ)瀬(せの)命(みこと)・稲(いな)氷(ひの)命(みこと)・御毛(みけ)沼(ぬの)命(みこと)・若(わか)御毛(みけ)沼(ぬの)命(みこと)の四皇子です。

五瀬命は、若御毛沼命と共に東征に登られますが、途中、浪速(なにわ)の国での戦において矢傷を負ったのがもとで、お隠れになりました。

稲氷命は、妣の国として海原に入り給いました。 御毛沼命は、波の穂を踏みて常世国に渡られました。

若御毛沼命は、別名を豊(とよ)御毛(みけ)沼(ぬの)命(みこと)・神(かむ)倭(やまと)伊波(いわ)礼(れ)毘(び)古(この)命(みこと)と申し上げ、後に神武(じんむ)天皇(てんのう)さまであらせられます。

ここまでが『古事記』上巻に書かれております。

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11月日程

神の子の皆様。

ありがとうございます。

11月の日程を掲載させて頂きます。

11/8(土)~9(日)

   相愛会壮年層研修会

11/16(日)

   相愛会壮年層勉強会

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連載:日本国の紀元を探ろう その11

日本国の紀元を探ろう(11)海佐知毘古と山佐知毘古

 邇邇藝命は、木花佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)と結婚され、その御子は、火(ほて)照(りの)命(みこと)・火須勢(ほすせ)理(りの)命(みこと)・火(ほ)遠理(おりの)命(みこと)の三皇子です。

火照命は、別名を海佐知毘(うみさちひ)古(こ)と申します。火遠理命は、別名を山佐知毘(やまさちひ)古(こ)・天津(あまつ)日(ひ)高日子(こひこ)穂(ほ)穂(ほ)出(で)見(みの)命(みこと)と申し上げます。

皆様も、海佐知毘古と山佐知毘古の物語を聞いたことがあるでしよう。それは古事記の此処に書かれているのです。

天津日高日子穂穂出見命(山佐知毘古)は、竜宮に行って音姫様である豊玉毘賣(とよたまひめの)命(みこと)と結婚されますが、無くした釣針(つりばり)と、塩盈(しおみつの)珠(たま)と塩乾(しおひるの)珠(たま)をいただいて地上に帰ります。

豊玉毘賣命は、子供が出来ており、いま産むときになりましたので昇って参りましたと申します。

急いで産屋を造りますが、葦草を葺くのが間に合わないくらい早く生まれてしまいました。それで御子を波限(なぎさ)建(たけ)鵜(う)葦(がや)草葺不合(ふきあえずの)命(みこと)と名付けたとあります。

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連載:日本国の紀元を探ろう その10

日本国の紀元を探ろう(10)天孫降臨(その2)

天忍穂耳命は、萬幡豊秋津師比賣(よろずはたとよあきつしひめの)命(みこと)と結婚され、その御子は「天之(あめの)火(ほあ)明(かりの)命(みこと)」と「天邇岐志(あめにぎし)国邇(くにに)岐(ぎ)志(し)天津(あまつ)日(ひ)高日子(こひこ)番能邇邇藝(ほのににぎの)命(みこと)」の二皇子でした。

 天照大神は、孫である邇邇藝命に「此の豊葦原の水穂国は、汝知らさむ国ぞと言依さし給う。汝、命の隋に天降るべし。」と宣り給うたのです。

 邇邇藝命は、天之児屋(あめのこやねの)命(みこと)・布(ふ)刀(と)玉(たまの)命(みこと)・天之宇受賣(あめのうずめの)命(みこと)・伊訴許理度賣(いしこりどめの)命(みこと)・玉之(たまのお)祖(やの)命(みこと)を伴って、天の石(いわ)位(くら)を離れ、天の八重多那(やえたな)雲(ぐも)を押し分けて、伊都(いず)能(の)知和(ちわ)岐(きに)知和(ちわ)岐(き)て、天の浮橋(うきはし)に宇岐士摩(うじしま)理(り)、蘇(そ)利(り)多(た)多(た)訴(し)て、筑紫(つくし)の日向(ひむか)の高千穂(たかちほ)の久(く)志(し)布(ふ)流(る)多(た)氣(け)に天降りました。

天照大神は、八尺勾璁(やさかのまがたま)・八咫(やたの)鏡(かがみ)・草那藝(くさなぎの)剣(つるぎ)(以上三種の神器)、常世之思(とこよのこおもい)金(かねの)神(かみ)・天之(あめの)手(たじ)力男(からおの)神(かみ)・天之岩(あめのいわ)門別(とわけの)神(かみ)を副え給いました。

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連載:日本国の紀元を探ろう その9

日本国の紀元を探ろう(9)天孫(てんそん)降臨(こうりん)(その1)

 高天原において、天照大神は、「豊葦原之(とよあしはらの)千秋(ちあき)長(なが)五百(いお)秋之(あきの)水(みず)穂(ほの)国(くに)は、

我が御子、正勝吾勝勝速(まさかあかつかちはや)日(ひ)天(あめの)忍(おし)穂(ほ)耳(みみ)命(のこと)の知らす国」と申し付けて、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命を天降し給いました。

天忍穂耳命が水穂国(日本国土)を見給うと、たいへん騒がしい状態でありました。

そこで高(たか)御産(みむ)巣(す)日(びの)神(かみ)・天照大神の命によって神々が集って協議し、「荒ぶる国つ神どもをコトバによって説得し平定するために」四柱の神が次々に使いに出されましたが、「大国主神に媚びて」帰ってきませんでした。

建御雷(たけみかずきの)神(かみ)が派遣せられて、ようやく和平が成立しました。

 天照大神から天忍穂耳命に、「再び天降りて知らせ」と命じられますが、天忍穂耳命は「用意をしている間に子供がうまれました。この子「邇邇藝(ににぎの)命(みこと)」を降したい」と申し上げました。

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